アフリカローズを始める時に、何となく描いていた目標が2つありました。


ひとつは、出版。

2017年10月に初めての著書 アフリカローズ幸せになる奇蹟のバラをポプラ社から出版させて頂きました。夢が叶った瞬間です!

2017年10月、出版記念パーティ
ドレスコードはSomething Rose!
当時のバイトちゃんが書店に手書きのポップをつくってくれたのが嬉しかった!


もうひとつは、私が居なくてもオペレーションがまわるようになること。

女性に生まれたからには、もし可能ならば出産と育児を経験してみたいと思っていた私は、事業を軌道に乗せることに必死で5年間も彼氏が居ませんでした。(笑) 人並みにはデートや婚活もしたけれど、男性と食事している時間があったら仕事をしたかったのです!!とにかく毎日が楽しくて最高に充実していたので、結婚なんてしなくて良いと思ってました!でも34歳になった時「結婚はいつでもできるけど、出産はそろそろヤバい!」そう本気で思い、奇跡的に素晴らしい旦那様と巡り会い、結婚しました。


その頃、広尾店は2周年を迎え、スタッフは5人に増え、私の右腕となるフラワーデザイナーの田中、そして広尾店の店長の彩加ちゃんを中心に活躍していたので、私が休んでも大丈夫だろう!ということで産休中はお任せすることにしました。

広尾日赤病院にて

そして2018年1月、無事に元気な息子を出産しました。

事業を初めて2つの目標が叶い、子宝も授かり、感謝しかない日々。


…その頃から、私の心に変化がありました。


これまで、自分の命の次に大切な存在であるAFRIKA ROSEのバラと仲間たち。寝る時間以外、私の全てのエネルギーを注ぎ込んできたアフリカローズという大切な存在。


今は、自分の命よりも大切な「子供」という存在ができたのです。

優先順位がガラリとかわり、私の価値観が根底から覆されました。

産休も本当は3ヶ月くらいは取りたいなと思っていましたが、仲間の家庭の事情などが重なり、結局、産後1ヶ月半で復帰することになりました。


時間的には、今までのように全てを捧げることはできず、毎日増えて行くTO DO LISTに追いつかず、仕事のできない自分に苛立と焦りを感じるようになりました。夜中の授乳で常に寝不足、産後のホルモンバランスの変化から、産後うつになってしまいました。


私がこの会社に居ても役に立たない。

もっと優秀な経営者に譲った方が、バラの輸入数もケニアの雇用も増えるに違いない。そう考え、会社を手放す準備を始めました。息子が半年の時でした。

今振り返ると、健全な判断ではなかったように思います。でも当時は情緒不安定なりの、必死の決断でした。

産後半年くらい。待機児童になってしまったので、お店に連れて来ることもしばしば。

あの頃の話を夫に聞くと、

「めぐは、毎日意見が変わってたよ。昨日は会社を手放すと言ったのに、今日になったらやっぱり自分で頑張ると言ってた。コロコロ意見が変わってた!」

子供ともっと一緒に過ごしたい気持ちと、大好きなバラを通じて大好きな仲間と一緒に社会貢献したい気持ちの狭間で揺れていました。特に、待機児童になってしまっていたので、今後の不安もありました。


経営者としてはあり得ない姿かもしれませんが、経営者である前にひとりの人間として、産後半年の女性として、これは自然の姿だったように今となっては思います。


会社を譲る直前になって、私の心から「ちょっと待った!」のサインがありました。

譲った経営者が大成功してくれれば良いのですが、万が一うまくいかなかったら、私がこれまで育てて来たAFRIKA ROSEの世界観やケニアの雇用の仕組みがなくなってしまうのです。それはお客さんやケニアの生産者、アフリカローズを信じてくれている人全てへの、そして自分自身への裏切りになってしまいます。


これで本当にいいの?後悔しない?できることは全てやりきったと胸を張って言える?

そう自分の心に確認してみた結果、

「今までのようにスピード感がないかもしれない。今までのように私の全てを捧げるのは無理かもしれない。でも私にしかできないことがあるはず。私が挑戦する姿をバラに見て欲しい!


そう考えなおし、会社を譲るのはやめて、「やっぱり私頑張りたい!皆で頑張ろう」と宣言をしました。


自分の中で、育児と仕事を両立する覚悟が、本当の意味でできたのだと思います。

その覚悟ができた翌日、なんと六本木ヒルズに出店しないか?というお話が来たのです!!!