少し前のことになりますが、銀座メゾンエルメスで開催されていた個展に行ってきました。

エルメス財団が主催しているアート展で、ブラジル人の女性Sandra Cintoさんによる『Cosmic Garden』というテーマの個展でした。

星や結晶、波など、人智の及ばぬ崇高な自然をモチーフとするドローイングを主軸とし、空間と関わり合いを持つインスタレーションを数多く手がけているアーティストさんだそうです。

私はまず「コスミック・ガーデン」という響きに魅了され、しかもブラジル人ということで(私の大好きな国でインスピレーションを受けています!)、長蛇の列に並ぶ覚悟でエルメスのビルに行くと、コロナの影響もあるのか、なんと来場者は私ひとり。広い空間、壁も床もクッションも全てをキャンバスとした彼女の世界観を、なんと私ひとりで存分に味会い感じることができて、なんて贅沢なんだと心が高ぶっておりました。

彼女の言葉で印象的だったのは、

私は、アートとは人々が自分自身と繋がり、自分という存在を理解するひとつの方法だと信じています。そのようにして再発見された自分とは、どこか深甚で神秘的な姿をしているのではないでしょうか。-サンドラ・シント」という言葉です。

 

そして、もっと衝撃的だった表現は、彼女の紹介の中で、こんな表現がありました。

「シントは自らの時間を蓄積する直接的な行為としてドローイングを好み、シンボルや線を用いた豊かな語彙で、空間と現実の間に漂う情緒的な風景や物語を紡ぎだす。」

この『時間を貯蓄する』という概念でした。

 

「時間を」という主語の後には、「過ごす」「費やす」「つぶす」という表現が用いられることが多い印象ですし、自分自身もそのような「時間」の捉え方をしていました。

しかし!!!!!

「時間を貯蓄する」んですね。自分の人生の器があったとしたら、自分の大好きな時間をどんどんその器の中に集めていくイメージなのでしょうね。その大好きで没頭できる時間が、彼女にとっては「描く」という行為で、自分自身の探求の結果、辿り着いたら作品になっていた感覚なのでしょうか。

「こういう作品をつくるぞ!!!」みたいな達成目標やインパクトを与えたいという欲求ではなく、素直に自分自身を探求し楽しんだ結果として作品になっている感じがしました。

この個展をみにいった同じ時期に、ミヒャエル・エンデのモモを読んでいたので、『時間』という概念に対しアンテナが立っていたし、自分自身どのような時間の過ごし方がいいのか考えている頃でした。

時間の過ごし方、ではなく、どんな時間を貯蓄したいか?という新しい視点に気づくことができました。

自分の人生を振り返った時、カラフルで楽しくて愛に溢れた時間に満ちていたいなぁと改めて感じました。

オブリガーダ。