こんにちは!
2021年3月11日。東北の震災から10年が経ちました。

SNSやテレビでは、朝から「震災から10年が経ちました」という言葉や投稿が多く、投稿を見るたびに寂しく悲しく暗い気持ちになりました。
だからこそ!と、自分のSNSでは震災と関係ない明るい話題を上げてみたけれど、何となく不謹慎のような後ろ指挿されているような感覚になりました。

コロナ禍でも、震災から10年でも、今日が結婚記念日やお誕生日の人もたくさんいる。日々生きていることへの喜びを自由に表現したい人もいる。
そういう人たちが喜びを表現したって良いじゃないか!
それなのに、何となく世間に合わせて、暗く悲しい話をしいなければいけないような雰囲気・・・

この感覚、どこかで味わったような。
思い出した。ちょうど10年前、震災の直後に会社を退職し、ケニアに行く準備をしていた頃。

「ケニアにボランティアに行くことになりました。」と告げると、

「なぜ今ケニアなの?東北にボランティアに行く方が優先順位高いんじゃない?」と言われた時の感覚が忘れられません。

私には明確な理由があったはずなのに、一瞬止まってしまい「あれ?何故だろう?私は日本人で、いま一番助けが必要な東北に行かずに、なぜ遠いアフリカをこのタイミングで選んだのだろう?」
頭の中が真っ白になり、何も答えられずに、なぜかとても恥ずかしい気持ちになりました。

その後、ゆっくり自分でもう一度考えてみました。「アフリカじゃなくて東北に行くべきなのでは??」
何度考えてみても、直感的に「いや、私はアフリカに行くんだ」確固たる確信だけが私の中にありました。
。。。でもその一方で、自分の国や仲間を見捨てているような不思議な感覚の正体がわからずにいるモヤモヤした気持ちが続きました。

ケニアから帰って来て数年後にある人に出会いました。
私とちょうど同じ時期に、自分の使命を全うするために海外に渡った方。

「東北に行かずに、なぜあのタイミングで海外に渡ったのですか?周りから、東北に行かないのは何故か聞かれませんでしたか?」と、私は数年前に自分が答えられなかった質問をしてみました。

すると、こんな答えが。

「その質問よく聞かれるんですよ。でも、『あなたにとって、どこまでが関係あって、どこまでが無関係なの?その境界線はどこなんですか?』て、逆に質問するんです。」

目から鱗とは、このことです。その方は世界を舞台に生きている方。境界線なんて、最初から無いのです。
東北で被災している方がいる一方で、アフリカで飢餓で苦しんでいる子供たちがいる。どっちの方が優先順位高いかなんて、正解はないのです。

私は自分の答えがわからなかったのではなく、この感覚をどう表現したら良いのかわからなかっただけ。

ケニアに行く前に私に質問をした人の意図は、きっと
「なぜ、関係ないアフリカに行くことを、関係ある東北より優先するのか?」だったのです。

その方にとっては、そういうパラダイムで、アフリカは関係ないことかもしれない。でも私はそうではなかったというだけ。

10年経った今も同じ気持ちでいます。短期的に必要なサポートもあれば、長期的に必要なサポートもある。
同じ時代に同じ地球に生まれ、国境や言葉に壁がない私にできることがあるんじゃないか?

アフリカローズを通じて私と出会ってくれた多くの仲間たちやお客様のお陰で、10年前よりも更に「私に関係すること」が増え、私の世界が広がりました。このことに一番感謝したいです。

生かされていることに感謝して、いま自分にできることをして、喜びも悲しみも沢山表現して共有して生きていきたい。改めて、そう思えた日でした。
たくさんの失われた尊い命にご冥福をお祈りします。

そしてより一層、大切な地球や海や働く人の幸せを守ること、大切な人に愛情と感謝を表現すること、自分が心から喜びを感じる時間に、益々拘ってまいります。