ケニアでは、小学校の教室建設を支援しているNGOでボランティアスタッフとして働いていました。

現地の建設コンサルタントが地域のお母さんたちに作業の仕方を教えながら、一緒に教室をつくるプロジェクトです。そのなかで、道具の管理方法や意思決定のプロセス、子どもの学校教育や地域の大人がどう教育に関わるべきかなど、当事者が話し合うことは沢山あります。私はその環境をつくるお手伝いをしていました。

いちど一緒に「教室づくり」をやると、現地の人たちはそのやり方を覚えます。次からは自分たちでできるようになります。


ケニアの小学校は8年制なのに、教室が2つしかなくて、いくつかの学年がひとつの教室で学んでいるケースも少なくありません。教室の数によって派遣される教師の数が決まるため、教師を増やして教育の水準を上げるためには、適切な教室の数を確保することが必要なのです。

また、家が遠くて通えない子どももたくさんいます。そんな子どもたちにとっては、近隣に小学校ができることで通学しやくなり、ドロップアウトを防げます。

たくさん教室をつくれば、学校に通える子どもたちを増やし、教育の水準を上げることが可能ですが、現実には、それでも学校に通えない子どもたちがいました。


ケニアの失業率は40%。特に農村部では充分な仕事がありません。そんな家庭では、子どもたちが家計を支えるために働いています。まだ小学生の小さな身体で、建設用の砂を採取して建設会社に売ったり、川で魚を釣って魚屋に売ったりしています。たいてい、仕事がない家庭の親たちは学校に通った経験がない人が多く、教育の大切さに理解のある人は少ないのです。負のスパイラルです。


これを断ち切るためには、まずは大人に働く場所を用意することが必要ではないか?私はそう感じはじめていました。

私たちのNGOが新しく支援を検討している村に訪問した時のことです。貧困レベルがかなり高い村でした。

その村の小学校の校長先生にお会いすると、


「Welcome! How can I help you?」校長先生はそう言いました。

私は違和感を覚えました。

もちろん、歓迎の意味を込めてのWelcome、そして「どんな御用でしょう?」という意味もあったとは思いますが、どちらかと言うと、「どう協力すれば、援助してくれるのかい?」そんな感じのニュアンスでした。

私たちが支援に来ているのに、なぜ私たちが助けてもらわなければならないのか?

その答えは簡単でした。


いろいろな国際支援団体が来ては去り、来ては去り、団体によって支援の方法が異なるため、現地の人は、自分たち自身でなにが必要で何が欲しいか、なにを自分たちでやるべきなのか、考える視点をを失ってしまっていたのです。

頭をハンマーで殴られたような気分でした。ショックでした。

私は良い事をするために仕事を辞めて覚悟を決めて遥々アフリカまで来たのに、一体どうすることが正しいのか、よくわからなくなってしまいました。

でも、寄付や援助のように上から与える形の支援は、私がやりたいことではないことだけは、ハッキリとわかりました。

もちろん緊急支援や最貧困層への援助など、必要な援助や支援があるのはわかっています。一方で、支援や援助は「与える側」と「与えられる側」という構図をつくってしまい、甘えや怠惰を生み出してしまう危険もあるのだと感じたのです。

…私は、どうケニアと関わったら良いのか?

ケニアには経済的な支援が必要だということは感じていたので、援助をしたくないからと言ってケニアのことを放って帰る訳にはいきません。だからといって、支援や援助ではない形で具体的にどのように関わったら良いのか、、、

ひとり悶々と悩む日々が続きました。

そんな時、あのバラと出会ったのです。